![]()
黒部源流を取り囲むように、そこにはいくつもの名山が聳えている。 その中で特異な山容を見せるのが、黒部五郎岳である。なんといって も山頂東側に広がる巨大なカールが目を引く。清流が流れ、羊群岩が 点在し、夏には高山植物で埋め尽くされる。自然の造形美をいかんな く発揮した、まさに雲上の別天地と言える。そんなカールを抱いた黒 部の盟主である
10月の連休には北アルプスを歩くのが恒例となっている。これで今年のアルプスは終わりとなりそうだ。実は、先月のうちに 水晶岳に登る予定が、気付いた時には近くの山小屋が閉鎖していた。そこで、黒部五郎岳となった。この山は新穂高から入っ て、カール経由で登頂したかったのだが、こちらも黒部五郎小舎が終わっていた。仕方がないので折立から、太郎平小屋を経由 して目指すことにした。 折立にやって来たのは昨年の薬師岳のとき以来となる。3連休だというのに、駐車場に車の数は多くない。そろそろ北アルプス の登山シーズンは終わりとなるので、ここから出発する人もそれほどいないのだろう。曇りがちの天気らしいが、折立の上空は 青空が広がっている。今日は太郎兵衛平まで行くだけなので、時間はたっぷりある。そのため、9時30分過ぎというかなり遅 いスタートとなった。折立ヒュッテから始まる太郎坂は相変わらずの急登だ。以前、ここを苦労して登った記憶が蘇る。1時間 ほどたったところで、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。樹林帯の中なので、それほど気にならないが、木々の間から上空を見る とすっかり雲に覆われていた。この先のことを考え、早めに雨具を着ることにした。1871m三角点、五光岩ベンチを通過す る。ここまで小雨が降ったり止んだりしている。さらに進むとガスが出始め、展望がほとんど利かなくなった。休憩を繰り返し ながら、のんびりモードで歩いて行くと、目の前に太郎平小屋が現れた。小屋に到着し、しばらくするとついに雨が本降りにな ってしまった。外へは出られないので、部屋でビールでも飲んで寛ぐことにしよう。明日の天気が心配だが、予報では晴れるら しい。 ![]() ![]() ![]() 折立を9時30分に出発する 右手に有峰湖が見える やっと太郎平小屋に到着 ![]() ![]() ![]() 太郎平小屋の個室。この日は3人だった 窓の外には薬師岳が見えるはずだった。。。 ビールで午後のひとときを愉しむ 夜中に目を覚ますと、雨が屋根を打つ音が響いていた。朝には上がってくれるだろうか。雨音を聞きながら再び眠りに落ちた。 2日目の朝はガスガスで視界が利かず、霧雨も降る残念な天候だ。小屋のオヤジは次第に回復するだろうと言っていたが、とて も憂鬱である。今日は黒部五郎岳を往復し、そのまま折立まで下りなければならない長丁場だ。とりあえず装備を整え歩き始め た。小屋の裏手から木道を進むと、まもなく薬師沢方面と道を分けるので右に行く。黒部五郎岳まで9.6kmという表示板が あった。雲ばかりで何も見えず、果てしない道のりに感じる。次の太郎山まではすぐだが、行っても意味がないのでやめにして 先を急ぐことにした。濡れた木道は滑りやすく、何度も転びそうになった。登山道の左側は湿地帯になっており、池塘が点在し ている。太郎兵衛平のほうを振り返ると、雲が消えて小屋が完全に見えるようになった。その先にある薬師岳も徐々に姿を見せ 始めている。目指す黒部五郎岳方面はまだガスに隠れているが、天候が回復に向かっているのは間違いないだろう。この辺りは 小さなアップダウンが繰り返され、少しずつ標高を上げていく。道はよく整備されて歩きやすいが、ところどころで土砂の流出 が進行しており、木道の両側が雨で削られている様が窺える。すぐ近くに3羽の雷鳥を発見した。こちらが近付いても意に介さ ず、呑気にエサを漁っている。しばらく進むと前方に北ノ俣岳が現れた。おおらかでボリュームのある山体が横たわり、山頂へ 向けて緩やかな尾根道が延びている。牧歌的な風景の中、ここからは気持ちの良いトレイルが続く。いつしか天気は回復し、青 空が広がる快晴となった。山はすっかり秋の装いだ。開放的な草原状の道は快適である。神岡新道への分岐を過ぎると、あっと いう間に北ノ俣岳に到着してしまった。そして、ここからの眺望は申し分ない。どこを向いても素晴らしい眺めが広がってい る。この山は黒部五郎岳までの通りすがりの山だと思っていたが、飛越トンネルから神岡新道でこの山を目指す登山者が多いと いうのも納得がいく。それほどの景色、雰囲気の良い山だ。すぐそこには目指す黒部五郎岳があるが、まだ距離がありそうだ。 ゆっくりしたいところだが、時間が気になるので先を急ぐ。北ノ俣岳を越えると、先ほどまで吹いていた風が穏やかになった。 ハイマツ帯の稜線を南下すると、その先には赤木岳があるが、山頂は通らずに東面を巻く。左側の斜面の先には赤木平が広がっ ている。さらに、岩ゴロの小ピークを登り返すと、そのあとは中俣乗越まで下って行く。振り返ると北ノ俣岳から続くのびやか な稜線がよく分かる。実際に歩くと、思った以上にアップダウンがあり疲れるものだ。今日は朝食抜きだったので完全にシャリ バテだ。持参した食べ物を少しずつ口にしながら歩いて行く。道の脇には池塘が点在し、その向こうに薬師岳が見える素敵なロ ケーションが展開する。今まで誰とも出会わなかったが、ここでようやく黒部五郎からやって来たふた組とすれ違った。中俣乗 越からピークをひとつ越えると見晴しの良い鞍部に出る。すぐそこには黒部五郎岳がでんと構えており、山頂へ向かってジグザ グの道が切ってあるのが見える。この先から標高差約350mを一気に詰めていく。ザレた急斜面は足元が悪く、さらに溜まっ た疲れのためかなり遅いペースで黒部五郎岳の肩に着いた。ここにはカールを経由して黒部五郎小舎へ向かう分岐がある。すで に眺めは最高だが、山頂からのさらなる眺めに期待が膨らむ。その山頂まではあと僅かだ。呼吸を整え、最後のひと登りは10 分ちょっとだ。そして、バテバテになりながらようやく辿り着くことが出来た。まず、黒部五郎岳からの凄い大展望に目を奪わ れる。それはこれまでの疲れを忘れてしまうほどの素晴らしいものだった。朝から歩いてきた稜線は太郎兵衛平まで続き、その 先には何度も見てきた薬師岳が大きな山体を構えている。この辺りでは一番に存在感を放っている山だ。薬師岳の向こうには立 山、そして隣には峻険な剱岳が聳える。さらに、奥に目を転じると爺ケ岳、鹿島槍ケ岳、五竜岳といった後立山の峰々。今日は 昼近くになっても空気が澄んでおり、雲も下りてこないので遠くまで眺望が得られる。赤牛岳に寄りそうように並ぶのは水晶岳 だ。この山も早く登ってみたい。水晶岳からワリモ岳を挟んで、端整な姿を見せるのは鷲羽岳。鷲羽岳と対峙する祖父岳と、そ こから続く台地には雲ノ平が広がっている。三俣蓮華岳、双六岳から右に振ると、その尾根の先には笠ケ岳のピラミッドがあ る。さらに乗鞍岳、御嶽山へと続いていく。槍ケ岳から穂高岳までの稜線もきれいに見ることが出来る。西の方向には一面の雲 海に白山が浮かんでいる。360度どこを眺めても最高のパノラマだ。山頂の東側には広々としたカールが展開している。ま た、南東斜面の先には黒部五郎小舎の赤い屋根がぽつんと見え、まるで箱庭のような佇まいが俯瞰出来る。何という壮大な風景 だろう。文句のつけようがない眺めだ。時がたつのも忘れて魅入ってしまうほど、北アルプスの圧倒的な自然の素晴らしさが伝 わってくる。山頂は風が穏やかで、陽射しも十分だ。おまけにこの絶景。今日は時間に余裕がないので、長居したい気持ちを抑 え、そろそろ黒部五郎岳を後にするとしよう。 ![]() ![]() 雨はたいしたことはないが、眺望がないのが残念だ 歩きはじめるとすぐに薬師沢方面との分岐がある 黒部五郎岳までは9.6kmもある ![]() ![]() まったく逃げようとしない雷鳥たち 薬師岳の雲がとれ、太郎平小屋も見える 人慣れしているのではない。登山者がやさしく接している証拠だ ![]() ![]() 北ノ俣岳へ続く緩やかなトレイル 好展望の北ノ俣岳に到着 西銀座ダイヤモンドコースのなかで最も快適な稜線 ![]() ![]() ようやく全容を現した薬師岳。左側には剱岳が顔を出す 行く手には目指す黒部五郎岳 ![]() ![]() 黒部五郎、笠、乗鞍、御嶽。名山が幾重にも連なる もうひとつピークを越えるといよいよ黒部五郎岳だ ![]() ![]() 北ノ俣岳からの稜線。思いのほかアップダウンがある ハイマツ帯に広がる池塘群もいいアクセントになる ![]() ![]() ここから山頂まで岩ゴーロの道をジグザグに一気に登る 黒部五郎岳の肩まで辿りついた ![]() ![]() 山頂はすぐそこ。この先を下ればカール経由で黒部五郎小舎 太郎平小屋から4時間50分で黒部五郎岳に到着 ![]() ![]() 歩いてきた稜線を振り返る 立山、剱岳の奥には後立山の峰々 薬師岳と北ノ俣岳のあいだに太郎平小屋が見える ![]() ![]() 左に水晶岳、右に鷲羽岳。その手前には雲ノ平 槍ケ岳から穂高岳 ![]() ![]() 笠ケ岳の北西尾根。奥には乗鞍岳 雲海に浮かぶ白山 ![]() 文句なしの雄大な眺め。北アルプスの山岳絵巻が広がる ![]() ![]() 鷲羽岳と三俣蓮華岳。その谷間には黒部源流がある 山頂から続く尾根の先には黒部五郎小舎がある ![]() ![]() 山頂東側に広がる巨大なカール 太郎平小屋に戻ったときには天気が悪くなっていた 太郎平小屋 太郎兵衛平に建つ小屋からは薬師岳をはじめ、黒部源流域の山々の眺めが楽しめるの だが、この日は生憎の天気だったので、小屋の部屋でおとなしく過ごした。その部屋 は6畳ほどの個室で、この日の同居人は自分の他に二人組だけだった。とある仕事で 山に登っているそうで、偶然にも住まいが隣の市だという。山の話で盛り上がった。 この小屋は食事の時間が遅く、消灯や朝の明かりが点く時間も遅いので、全体的にゆ っくりしている感じだ。翌日は5時頃に出発の予定が、部屋の明かりがなかなか点か ず、また、個室だったためついつい寝過ごしてしまった。黒部五郎岳の往復には、や や中途半端な位置にあるので利用しづらい気がする。そのため、今回のように2日間 で歩くには、2日目の行動時間がかなり長くなってしまう。 恐怖のサプライズ 黒部五郎岳から戻ってくるとき、太郎山の少し手前、登山道脇のハイマツと笹原の中 でガサガサという音が聞こえた。次の瞬間、そこに目を向けると熊が斜面を駈け上っ ていった。その距離は7〜8メートルしかなかった。こちらの気配に気付いて、逃げ て行ったのかもしれないが、そのときは怖さで一瞬、立ちつくしてしまった。朝にこ こを通ったとき、やたら熊の臭いがした。今までも熊の臭いがしたことは何度もあっ たが、実際にその姿を見たのは初めてだった。しかも、こんなに近くで。2300メ ートルを超える尾根で、まさか熊に出合うとは思わなかった。その翌日から各地で熊 による被害のニュースがやたらと流れるようになった。無事でよかった。 <山行後記> 2日目の天候が心配だったが、幸いにも好天に転じてくれた。黒部五郎岳までの稜線 は思った以上に変化があり、周りの眺めとあわせて見どころも多かった。しかし、起 伏が多く、距離もあるので1日で折立まで戻るのはかなりきついものがあった。雄大 な山岳風景には心躍る思いがし、また、次回は是非カールを歩いてみたいと思った。 深まりゆく秋を感じながら、至福なひと時を過ごすことが出来た。来てよかった。 ![]() |
|
|